hiro-nakayamaの日記

日暮れまでには、まだ時間がある。

クリムトを探して・・・。

オルセー美術館クリムトの風景画を見て、すっかり虜になって、

ヴィエナのベルヴェデーレ宮殿ギャラリーも訪ねることができた。

クリムトは夏の間、ザルツカンマーグートに滞在していて、

そこで風景画を描いたという。

それでザルツブルグから、「サウンド・オブ・ミュージック」ツアーの、

観光バスに乗って、その美しい湖水地方も訪ねることができた。

クリムトの女性像を囲む独特のシンボル文様は、

その湖面の、水の揺らめきの文様である事が解った。

以来北海道で暮らしていても、

近所のちいさな湧水の水たまりに、

光が反射していると、クリムト文様を探している。

 

 

 

 

■私はそこにいる「IO SONO LI」

私はそこにいる「IO SONO LI」
という原題のイタリア映画『ある海辺の詩人』(2011)は、
近年ではオレの、もっとも深く共感した作品のひとつであった。
何度もヴェネツィアへ行ったが、この映画はヴェネツィアの、
ラグーン(潟)リド島の先のキオッジャという漁師町が舞台だ。
 そこの古い酒場(オステリア)が中国人に買われて、
ボスの指示でローマから其処へ派遣された女性シュン・リーと、
トルコから流れ着いて、漁師として暮らす儘に老いてゆく、
詩心のあるベーピとの、出会いと別れの物語だ。
オステリア(酒場)は、ツケが利くから、
常連のたまり場となっていて、
店は客と共に時代に取り残されてゆく。
それは何処でも見掛ける光景だが、
その老人の吹き溜まりのようなオステリアでは、
流れ着いた常連客たちが、孤塁を守るように、
それぞれの飲物に、自分流のアレンジを加えているのだ。
いきなり派遣されて、現地の言葉にも不自由な、
シュン・リーは戸惑うばかりであるが、
中国の片隅の郷里の、老いた親に幼い坊やを預けて、
単身イタリアへ出稼ぎに来ていて、借金の返済が済んで、
坊やをイタリアへ呼び寄せて、共に暮らせる日を励みに、
ボスの指示のまま、仕事場を転々としているのだ。
その世界の淀みのような溜り場の中の、
中国人出稼ぎ派遣のシュン・リーにも、
そして流れ着いて漁で暮らすベーピにも、
静かに綴られる、また思い起こされる『詩』が、
ほのかな光明のように、孤独をささえていたのである。
そして「IO SONO LI」私はそこにいる。
映画の冒頭、派遣労働者宿舎の喧噪の片隅で、
シュン・リーはしずかに蓮を模った灯明を浮かべている。
 ・・・川面に灯明を浮かべて 偲ばれる。
 今も水面を彷徨う その魂を守るように・・・。
そのたましいとは何か。
 “我如何に美徳を愛そうとも”
 “朝に嗤われ 夕べに辱められようとも”
 “蘭を編み 美しき慧蕙(ケイ香草)を添える”
これは幾度も放逐された、中国最初の伝説詩人
屈原」の歌、「離騷」からの一節なのであろう。
映画もまた詩も、人と同様に、
時代に阿ねてプロパガンダともなってゆくものも多い。
しかし歴史を越えて、ほのかな光明のように輝き続ける、
屈原詩人の、その思いに馳せることの出来るのもまた、
「人」と「詩」の根源に、横たわるものなのであろう。

■ポケットの中から。

ヴェネチアのホテルで、愛を囁きながら、
お互いのものを盗み合う〈ガストン〉と〈リリー〉。
しかしリリーは、「アンタは泥棒でしょ」と、
貴族に成り済ましたガストンの正体を見抜く。
 それはガストンのポケットから財布を盗んで判ったのだ。
ガストンは、見破られたか。とほほえんで、
リリーを抱きしめるフリをして、
突然、リリーのからだをぐらぐらと大きくゆするのだ。
するとリリーのスカートの中からぽとりと、
ガストンから盗んだ財布が落ちてくる。
それに感動するリリー。
ガストンはさらに上着のポケットから、
いつの間にかリリーから盗んだ、身に着けていたものを、
次々と取り出すのだ・・・。
まるで手品のように、お互いが盗みあっていたので、
二人は感激して、すっかり意気投合してしまった。
やがてガストンは、
パリの化粧品会社の女社長に取り入って秘書となった。
そして二人はさらに大きな財産を盗もうと画策するが、
ガストンはすっかり女社長に惚れてしまうのだ。
チャラチャラ恋などしてないで盗みに徹するのが、
アナタの仕事でしょ。とリリーはガストンの尻を叩く。
エルンスト・ルビッチの『極楽特急』(1932)が面白いのは、
その手前にあって表層的に、人間を縛り付けている、
良い悪いの、「善」・「悪」の相対化から、自由だからだ。
そういう概念を離れたところで、
ただポケットに手を、出し入れするその瞬間が、
サスペンスとなる。これが「映画」なのだ。
これを観れば、突き詰めればこういう事だよな。と感激する。
しかし笑っている先に、「映画」ならまだしも、
人々がメディアに張り付いていて、
温暖化だ。戦争だ。パンデミックだ。昆虫食だ。
と次々に、湧き出てくる意図されたNEWSも、
この『極楽特急』のポケットから出てくる、
盗んだカネや宝飾品同様の手品のようなものなのだ。
 

■ピエロ・デッラ・フランチェスカ「キリストの誕生」を思い浮かべて。


キリスト教においても、クリスマスは、

「降誕を記念する祭日」と位置づけられており、

イエス・キリストの誕生日」と考えられているわけでは無い。

wiki

エスという存在は、脚色され宗教化し、

伝説化され集合されているから、誕生日など判る筈はないのだ。

日本でも伝説化された聖徳太子や、

何でも弘法大師とかは、ほうぼうにある。

それでもイエスが誕生した日が、何時なのかは様々な説があるが、

「クリスマス レクチャー」の冒頭に佐治博士も仰っていたように、

様々な背景から、それは冬ではなくて、夏なのであろう。

オレは、中世のピエロ・デッラ・フランチェスカの絵画、

「キリストの誕生」を思い浮かべて、その話を聴いていた。

冬に羊は放牧しないし、

この中世の絵画を見てもやはり冬景色ではない。

キリスト教圏では、クリスマスには家族と過ごし、

モミの木の「ツリー」の下に、プレゼントを置く。

それはプレゼントを贈る気持ちである「愛の日」なのだ。

それでは、何故「愛の日」は必要なのか。

■以下、上総英郎『クリスマス幻想』より抜粋引用します。 

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神と人とのかかわりを事実と信じるために、幻想にいたる――道、つまり想像の力によらねばならぬことを、私たちは正しく認識しておかねばならない。想像する力、想像の自由もまた、われわれに与えられた恩寵の証なのである。

クリスマスは子供たちだけのものではない。無償の施しの欲求を、それは世の成人たちの心に喚び起こす不思議な促しをもっている。なぜプレゼントの意欲が促されるのか? 子供たちを喜ばせたがる親の心の本性はなにか? 私たちが生きているこの世のなかは、多くの人たちの誕生と死の限りなく繰り返された世のなかなのである。私たちが、それぞれ自分の内面をみつめること ――クリスマスはそのためにこそ必要であった。地上はきびしい寒さに包まれている。この寒さのなかで己れ自身をみつめること、<施し>の意味を再確認し、その報酬を求めぬ心を培うこと、それがクリスマスの内的な意味であろう。

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■朝霧の虎杖浜温泉。

目を覚ますと、海を望む窓には、朝霧が流れていた。

左手に見えるアヨロ鼻灯台も霧の中だ。

霧は流れてゆき、徐々に青空が拡がってゆく。

いいなあ。駅からクルマならひと走りで、

こんなに眺めのいい宿は、そうあるものではない。

だからオレはここへ三度お世話になっている。

海に霧が流れて、そして晴れてゆく。

そんな朝の光景は、なんだかとても新鮮に感じられる。

どれ、朝飯前に、一風呂浴びるとしよう。

そういう気持ちになるのだ。

霧の朝ならば浜には灯台の霧笛が響いていたが、

GPSの発達で霧信号所は既に全廃されたという。

そしてここのアヨロ鼻灯台も2016年に廃用となった。

数々のアイヌ伝説に彩られたアヨロ海岸は、

ただ海が在るだけだから、旅行者は皆登別温泉を目指す。

登別駅に隣接する漁港の先の高台に宿はあるが、

だから此処は穴場なのだ。たまたま偶然であろうが、

天候に恵まれたせいか、オレにとってのアヨロ海岸は、

光溢れる穏やかな別天地に見えた。

 

■新たな世界は、レンタル落の旧作映画の中にあったとは、なん という皮肉なのだ。

タイヤ交換の合間に立ち寄った、

レンタルビデオ店で買った3本1000円のレンタル落ちDVD。

それを観て、オレはまったく新たな時代の胎動を知った。

トルコのヌリ・ビルゲ・ジュライン監督の大傑作、

『読まれなかった小説』(2018)は、映画のニューワールドオーダーなのだ。

とはいえジュライン監督は1959年生まれだから、既に65歳。

21世紀に入って世界は注目していた事すら、オレは知らなかった。

特に『雪の轍』(2014)ではカンヌ映画祭パルム・ドールを始め、

世界中で93の映画賞に輝いたというのも、当然であろう。

オレはこのように無知だから、映画賞とかはどうでもいいのだが、

遅れている老人だけど、いいものは10年遅れても届く。

オリンピック・アカデミー賞・ノーベルショウ。等々ははるか以前からオレは、

八百長感溢れるイヴェントと見下していた。

TVで云えばNHKは、そのヤラセ実績が半世紀の長きにわたり、

コクミンを誘導して洗脳してきた。

同様にオリンピックは、何故訳の分からない種目が増えてゆくのか。

それはアメリカ覇権の為に、審判員のいる種目ばかりを増やして、

支配する事に都合がいいスポーツの祭典だからだ。

アカデミー賞もノーベルショウも同様だ。

何故ハルキは当て馬であったのか。そこには不都合な真実が潜んでいる。

そしてカズオが文学賞を受賞すれば、

即ハラリの新作をヨイショする為に動員されてゆく。

こういう利権繋がりは、教育上まことによろしくない。まさに亡国の論理なのだ。

だからオレは、ほとんどハリウッド映画も見下しているけれど、

リベラルに組する業界の批評家様は、その価値観が乗り移ってしまい、

上から目線のママに世界をみて、

世界の審判員になったつもりでじつは利用されてゆく。

つまりこういう、転移するガン細胞のような、

新自由主義的な覇権文明の限界も露呈されて、

映画も消えてゆき、死んでゆくのかと、

オレはギリシャテオ・アンゲロプロスや、ポルトガルのマヌエル・オリヴェイラ

そしてフランスのジャン=リュック・ゴダールを悲しみの中で、見送ってきた。

しかし、どっこい。映画は生きていた。

ジュラインの『読まれなかった小説』は、

そういうパラダイムシフトからまったく自由な世界の風景の中で、人々は会話し、

けっして同調圧に汚染されない。

美しい風景の映像とその豊かなセリフは、

映画が人に寄り添うものである事を改めて実感させてくれる。

だから世界は感動する。世の中は捨てたものではない。

生きていてよかった。

と世界中が、ヌリ・ビルゲ・ジュライン監督に感動しているのであろう。

しかしそういう認識に辿り着かない人々は、

そのまま『皆様ごきげんよう』(イオセリアーニ)と、

NHKと共に去りぬ。それもキビシイ現実だ。

そしてそういう事を自問・自省して、

深いところで内なるナチズムの暴力性の根を考察したのが、

ミヒャエル・ハネケ白いリボン』だが、長くなるから止めるけれど、

このジェライン監督の3時間の作品は、ひとつ一つのシークエンス、

それ自体短編作品の組み合わせのように、

まるでクリムの織物のように絡み合い、丁寧に展開されてゆく。

人々の生きてゆく考え方をささえる、

文学的で哲学的で宗教的な豊かな深い台詞。

それと美しい風景が触媒となって、この作品は人々を開放してゆくのだ。

一度観てストーリーを分かったつもりになっても意味はない。

そういうハリウッド的に堕落した消費活動を越えて、

井戸の水脈を探すように、言葉の一つひとつに立ち止まり、

何度でも観なくてはならない作品なのである。

 

■生きてゆく木・朽ちてゆく木。

ハコモノの公共事業建築に巣ぐう、人気建築家の建物の、

劣化が激しいというNEWSをNETで見たが、

当然でしょう。とオレは思って、驚かないのは、

そこに馬賊政治の成り済ましの典型を感じるからだ。

オイラはヨステビトとなって、「古寺巡礼」の写真集を見て、

掲載されていた国宝を訪ねる旅を繰り返した。

そして木造建築の劣化の激しい現場に唖然として立ち尽くしていた。

木の国熊野でも、高野山でも、京都でも・・・。

その初めの驚きは、写真集の姿とはまるで違った、

高野山・金剛三昧院の国宝多宝塔を見た時だった。

愕然として、この国は如何なってしまうのであろうか。と思った。

しかし、皆一様に朽ちてゆく姿に慣れてゆく。

醍醐寺五重塔が国宝なのは、

京都で最古の平安期木造建造物だからだが、

地震・台風の度に、繰り返してそれは修復が為されて来た。

そして今日見ているのは、1960年に修理が為された姿だ。

しかしそれから半世紀が過ぎて見れば、なんだか心配になってくる。

こうして、其処から見えてくることは、

法隆寺の木造建築との違いでもある。

様式の違いは、信仰の持つ重みの違いでもあるのか。

同じ信仰でも、建物は変貌してゆく人間性の姿でもあるのか。

 

■銀閣寺の思い出。

金閣を観た以上、銀閣を観なければ落着かない。

それは中学の修学旅行以来なので、なんとか、

子供たちの参観を避けて行かねばならぬのであった。

そうして辿り着いた朝の銀閣には、時折春の雪が舞っていた。

北山殿・足利義満にも、東山殿・足利義政にも、

オイラは既にそれなりの知識を持った年齢となっていた。

それで銀閣の、朽ちようとしている観音殿の先に広がる、

「銀沙灘」(ぎんしゃだん)を観てオイラは感動した。

 

時を経て幾度かの改修がなされているであろうが、

それでも度重なる火災からも、再建の勧進はせずに、

ただそのまま白砂を敷いて、焼け跡を庭園とした

足利義政は、エライと思ったのだ。

金箔をはったから金閣。銀箔をはったから銀閣

そういう世俗の期待を肩透かしして、

白砂が輝いて「銀沙灘」。それで銀閣というのであろう。

まことにお見事や。

 

だって再建したとしても、どうせまた燃やされるだろう。

と義政は思ったかどうか、それは知らない。

でもオイラはそこには、唐物から脱却して、

おのずから和風へと転換してゆく時代の先見性を見出していた。

金閣・北山殿より、銀閣・東山殿が、京人の好みなのだ。とする、

理由を見つけたような気がした。

 

■以下保田與重郎『京あない』より引用。

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しかし大和を描く私と異なり、私は京に於て、土着三代といふ舞子なみの最小限の資格さへもたない。千年の文化を傳へるやうな複雑な市民生活が、一朝一夕でのみこめる筈がない。しかし典雅な都びとは、他所ものとそりがあはぬといって、あへて反論せず、くどくどと説かうとはしない。あまりあたりまへのことにわたっては、説きやうがわからぬのであらうか。他所ものに冷たいのは、文化の深さのゆえである。誰が苔寺に生えている苔の種類などに感心したといふのであらうか。苔寺が流行し出すともう口にするのさへ恥ずかしいやうな気持となる。私はさういふ京都と京都の土着人を周囲に多くもっている。京びとが金閣より銀閣を好みとするのは何故だらうか。さういふ人々は簡單に答へた。作った人間への好みだと。北山殿より東山殿が京人の好みなのである。これは私には申し分なくわかることだった。

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