hiro-nakayamaの日記

日暮れまでには、まだ時間がある。

2024-01-01から1年間の記事一覧

■ピエロ・デッラ・フランチェスカ「キリストの誕生」を思い浮かべて。

キリスト教においても、クリスマスは、 「降誕を記念する祭日」と位置づけられており、 「イエス・キリストの誕生日」と考えられているわけでは無い。 (wiki) イエスという存在は、脚色され宗教化し、 伝説化され集合されているから、誕生日など判る筈はな…

■朝霧の虎杖浜温泉。

目を覚ますと、海を望む窓には、朝霧が流れていた。 左手に見えるアヨロ鼻灯台も霧の中だ。 霧は流れてゆき、徐々に青空が拡がってゆく。 いいなあ。駅からクルマならひと走りで、 こんなに眺めのいい宿は、そうあるものではない。 だからオレはここへ三度お…

■新たな世界は、レンタル落の旧作映画の中にあったとは、なん という皮肉なのだ。

タイヤ交換の合間に立ち寄った、 レンタルビデオ店で買った3本1000円のレンタル落ちDVD。 それを観て、オレはまったく新たな時代の胎動を知った。 トルコのヌリ・ビルゲ・ジュライン監督の大傑作、 『読まれなかった小説』(2018)は、映画のニューワールド…

■寒い朝です。

その辺で釜揚げうどんでも喰いたくなります。 キツネにかぼちゃに、コロッケとか、何でも乗せちゃって、 どんぶりに顔をつけたまま、動物みたいに喰い続ける・・・。 そういう寒さですね。

■生きてゆく木・朽ちてゆく木。

ハコモノの公共事業建築に巣ぐう、人気建築家の建物の、 劣化が激しいというNEWSをNETで見たが、 当然でしょう。とオレは思って、驚かないのは、 そこに馬賊政治の成り済ましの典型を感じるからだ。 オイラはヨステビトとなって、「古寺巡礼」の写真集を見て…

■銀閣寺の思い出。

金閣を観た以上、銀閣を観なければ落着かない。 それは中学の修学旅行以来なので、なんとか、 子供たちの参観を避けて行かねばならぬのであった。 そうして辿り着いた朝の銀閣には、時折春の雪が舞っていた。 北山殿・足利義満にも、東山殿・足利義政にも、 …

■ヨステビト老人の悲しみ。

昔はトレンドを追う仕事をしていたから変節漢こそが利益を生んだ。 でもそういう仕事は、かならず破産してゆく。 だからオイラは温泉の足湯に浸かって、 ヨステビトとして暮らそうと思ったのだ。 でもいまの世の中は、自然界にも、その天候にも、家の中にも…

■毎日使っている計量カップ。

40年間毎日使っている計量カップの、底のヒビが拡大したので、 百均とかで幾度か買い替えたが、シックリこない。 だから結局ヒビ入りのモノを、そのまま何年も使っていた。 先日、接着剤などをモノタロウで買ったときに、 送料無料の金額まであと1000えんで…

■〈低次元〉に生きる。

なんかこの頃、ネット界隈では〈高次元〉に生きる。 なんていう記事が目に付く。如何にもらしい事とか言って、 情報消費者の心理をくすぐるのだろうが、 オレは低次元に生きているから、そういうのを見掛けても、 ただスルーしちゃう。ダメ・ダメ、幻想だよ…

■私だけの十字架を探して。

《日本語の「いのり」の語源は、「生(い)+宣(の)り」 であり、「いのちの宣言」を意味する。》 なんてネットにあったけれど、 その説明には、なに言っているんだろうね。とオレには、 なんだかこじ付け感たっぷりでピンと来ない。 その「祈り」という認…

■料理ド素人老人の、桜姫モモ鶏の地鶏化。

鍋の季節だからな。 オレは阿波踊り、いや“阿波尾鶏だし”スープの、 ちゃんこ鍋スープを煮立たせて、 鶏モモ肉と、鶏つみれ団子を、投入したところで、 電話が鳴って、火を消した。 そういう事って、よくあるよな。 どうでもいいセールス電話に頭に来て、 そ…

■「RECYCLE」解体されてゆく昭和。

商店街が「シャッター通り」となって、 大規模商業施設の街となって、 その駅前ショッピングセンターも、 いまは解体されてゆく。 思えば前向きに生きてきたものだけれど、 なんだかずっと、 荒野を歩いてきたような気がする。

■子育て中の丹頂家族。

友人の家からの帰り道、畑道で丹頂家族と出会った。 カメラを持っていたので、クルマを停めて、 コンニチハ。と挨拶をしながら、ゆっくりと近付いて行った。 距離が10mを切ると、離れた畑に居た父親の鶴が、 子供との間に入って来て、近付くな。と羽を広げ…

■自由と民主主義は風船玉のようだ。

10年以上前から人々のゾンビ化を推進していた、 アメリカの民主党政治は、幾重にもカルトと合体して、 そしてメディア誘導による、人々への毒の打ち込みにより、 世界を支配するという精神異常者の思いそのままに、 世界はOZの魔法使や、不思議な国のアリス…

■佐治博士の「クリスマスレクチャー」

もう7年前の2017年12月12日。 オレはOさんに連れられて美瑛町に行った。 粉雪の舞う美瑛で、佐治晴夫博士の、 「クリスマスレクチャー」を聴きに行ったのだ。 そのときのこと、思い出している。 ・・・・・・・・・・・・ 佐治博士みずからが奏でる、 バッハ…

■「ニオ」のある景色。

「にお」とは、刈り稲を円錐形に高く積み上げたもので、稲むら。 稲にお。ともいう。オレがこどもの頃は、 刈り取られた田んぼには、この「にお」があったから、 そこで、かくれんぼをして遊んだものだ。 そこに火をつけて、村人に津波の来ることを知らせた…

■丘にのぼる朝陽。

丘にのぼる朝陽を写そうと公園へ行くと、 まだ暗がりの中を白いマスクが点々と動いている。 何のためにマスクをしているのか。 それは自らの「習慣」のためであろうか。 教会の時代から王権の時代。国家の時代。 そしていまはAIの時代へと移行しようとしてい…

■「マユミ」の赤い実。

オレがこどもの頃は、クラスにはかならず真弓という子がいた。 真由美という名も多いと思うが、近頃では、 オカルトじみている、キラキラした名も、よく見掛ける。 言っちゃあナンだけど、それは名付け親に、 自然界への畏敬の念が無い証しでもあるかも。 と…

■何故「グローバリゼーション」が心的な病を誘発するのか。

これは、10年前の独り言だけどな。 それは、それ自身の内包する「不自然さ」への、 身体の拒否反応なのであろう。 オレは夏に花崎皋平の『ピープルの思想を紡ぐ』を読んでいて、 チェコのカレル・コシークのグローバリゼーションへの警鐘に共感した。 いま起…

■人は見えない糸で繋がっているのか。

「人間失格」・「死の都」・『ラ・パロマ』と続いたら、 次は当然『ファントム・スレッド』(2017)となる。 これは実に美しい映画なのである。しかし・・・、 〈Phantom〉は幻影。〈Thread〉は縒り糸を構成する一本の糸。 派生して、同時進行する事象のうち…

■ことばの内奥に潜む観念の映像化を廻って。 ~ヴィム・ヴェンダース『夢の涯てまでも』

どこも美しく彩られた立冬への道をぐるりと廻って、 季節も風景も一瞬の積み重だよな。と感動しつつ立冬も過ぎた。 この秋はヴィム・ヴェンダースの映画にハマっていたが、 70歳も半ばとなって、50年間の作品群を改めて26本。 連続鑑賞できることは、オレ自…

■生きてゆく事の素晴らしさ。

ビクトル・エリセの31年ぶりの新作『瞳をとじて』の、 エリセの圧倒的な集大成の映画体験から、 オレは立ち上がる事は出来なかった。 だからそのまま寝るしかなかった。 しかし翌日も、その翌日も、瞳をとじれば、 闇の中にエリセの光が灯っている。 ならば…

■週末の二本立て。

ヴィム・ヴェベンダースとアキ・カウリスマキの新作。 『パーフェクト ディズ』と『枯れ葉』は、 この季節に観るにふさわしい二本立て映画だった。 ヴェンダースの光に包まれて、みらい都市TOKYOも、 役所広司も石川さゆりも三浦友和も、 しっかりと、ヴェン…

■ロートレックの生涯。

オレは30年ぶりに、『赤い風車』MOULIN ROUGE(1952)を鑑賞した。 芸術の秋だからな。 ジョン・ヒューストン監督が20年に及ぶ構想をもって、映像化したこの作品は、 素晴らしいロートレック論であり、芸術論でもある。 だからほいほいと消費はできないので…

■『THE LIMITS OF CONTROL』

仕事を辞めて世捨て人として生きようとしていたとき、 オレはジム・ジャームッシュの『THE LIMITS OF CONTROL』(2009)を観て、 世捨て人として生きるという事は、こういう事だな。と実感する事ができたのだ。 だから、ジム・ジャームッシュに足を向けては眠…

■フランス映画をふらつく。

秋になるとイヴ・モンタンが好きなので、 オレは、「枯葉」から、「夕なぎ」とか「「真夜中の刑事」とか、 「ギャルソン!」とか「愛と宿命の泉」とか思い出す。 そうしてアラン・コルノーとかクロード・ソーテとか、 クロード・ミレールとかを観ているうち…

■「映画」は歴史を示唆している。

映画からオレは歴史を引き出してゆく。 だからオレは「映画」オタクとして、 映画こそは、人類史の遺産であるというスタンスだ。 其処には教科書にもメディアNEWSにも、 けっして語られなかった「歴史」の真実が潜んでいる。 たまたま見た「戒厳令=THE SIGE…

■『アメリカの友人』=この最高傑作がたまらない。

1977年に完成したこの作品が、日本公開されたのは、 10年後の1987年だ。そして90年代にLD化されて、 オレはようやく20年遅れでこの作品を観る事が出来た。 10年遅れどころか、20年遅れの、しょうもないオレの人生だ。 しかしそれから半世紀を過ぎても、 『ア…

■百人浜の光る海。

えりも岬から庶野漁港へと15キロ続く百人浜には、 近くに牧場が点在しているだけで、人家はない。 太平洋の吹きさらしの海の中には、暗礁があって、 浜には海難の話だけが伝わっている。 ハイマツの浜辺を抜けて、朝の砂浜へ出ると、 曇天の海の彼方で、水平…

■「悲恋沼」の思い出。

キャンプの朝、オレが「悲恋沼」を散歩していると、 沼の向こう岸にはエゾ鹿親子がいた。 ――おはようございます。声を掛けると、 母鹿は耳をピンと立てて、様子を伺っている。 緊張を解きほぐすように、オレはお辞儀をしてみた。 母鹿はさらに緊張して、耳を…