hiro-nakayamaの日記

日暮れまでには、まだ時間がある。

■栄啓期図とデ・キリコの不在

ジョルジョ・デ・キリコの作品展を観たのは、

1970年代初めの鎌倉だったような気がする。

学生時代は、多くの美術展に足を向けたが、

なかでも「富岡鉄斎展」と「デ・キリコ展」は、

折にふれて、いまだに、ふと思い起こさせる何かがある。

富岡鉄斎展」は、そのスケールに圧倒されたが、

鉄斎最晩年の作品、「栄啓期図」が忘れられない。

栄啓期が山路を飄々と下ってくる。

まるで萬有引力のままのように、ニコニコと満ち足りた自然な姿に、

なんともこころ打たれるのだ。

「栄啓期さん。何故そんなに楽しそうにしているのですか。」

孔子が訊ねると、栄啓期は応えるのだ。

 

 人として生れたこと。

 男として生れたこと。

 そして90歳まで生きたこと。

 これをもって「三楽」という。

 

と云って栄啓期はニコニコしている。

しかし栄啓期をして、「酒」の楽しみを知っていたならば、

「三楽」とは言わず、「四楽」と言ったであろう。

たしか、そんなような故事からの画賛であったように記憶するが、

「栄啓期図」は、その後なかなか見ることは出来ない。

なるほど。それで、「三楽」という酒造メーカーがあったのであろう。

 

いっぽう、現代美術に多大な影響を与えた、ジョルジョ・デ・キリコ

この作品展も圧倒的であった。

時間が止まってしまったような昼下がりの不在感。

これはいったい何なのだろうか。

そんな思いが、宿題のように残ったままに、「時」は過ぎてゆく。

それで、イタリアの美術館を歩くたびに、ガイドブックで、

デ・キリコの収蔵作品を探して、歩いているのだけれど、

どういう訳か、デ・キリコ作品には廻り合わないのだ。

 

写真は、間違えて迷い込んだ、ベルガモの現代美術館の中庭。

ここにも、デ・キリコはあるのだが・・・。

人影もなく、昼下がりの静寂のなかで、光も止まっているようだ。

いつか観たデ・キリコの絵画を思い浮かべながら、デジカメで写した。